読書には結末が無い

まさのりのノート

『冒険の書』を読んで

2016年、子どもに創造的な学びの環境を提供するグローバル・コミュニティであるVIVITAを創業して、良い未来をつくり出すための社会的なミッションを持つ事業を手がける孫泰蔵さんの書籍。副題は『AI時代のアンラーニング』。

僕はこの書籍が出版されてすぐにKindleで購入した。読み始めてすぐに「この書籍、画像データだ」と気づく。通常、Kindleでこのような書籍を買うと文字データでダウンロードされる。冒険の書はそれが画像データでダウンロードされる。おそらくそれは「レイアウトにもこだわっている」ということだと思う。確かに挿絵やフォント選びに凝っており、絵本とビジネス書の間を狙ったような編集が独特で、確かに画像データが最適解だな、と感じる。もちろん、紙の書籍も購入し、著者から直々にサインもいただいた。

現在の教育の習慣に一石を投じながらも、その影響範囲は教育だけに閉じず、多くの大人たちにも影響を与える書籍になっていると思っている。この書籍は、いままで僕たちが知らず知らずのうちに持ってしまっているバイアスを溶かしていく書籍となっていて、僕はかなりのソーシャルインパクトがある書籍だと思っている。

さて、緊張しながら、僕が一番感銘を受けた「溶かす(おそらくこれがアンラーニング)」に着目して読書ノートを書いていく。

丁寧な解きほぐし

この章は『なぜ学校の勉強はつまらないのだろう』というシンプルな問いから始まり、近代の学校教育のルーツを突き止め、そして、柔らかく僕らが持っている「常識」を徐々に丁寧に剥がしていくように話が進んでいく。

僕らは、生まれてからそこにあるものを何も疑わずに「当たり前」や「常識」として取り込んでいく。学校教育もそうで、ほとんど疑問を持たずに、その背景や歴史を知らずに、学校教育を当たり前のものとして受け入れている。冒険の書はまずはそこに大きく問いを投げかける。

ひとつの学校ではなく、いろんな学校で好きに学びたい。教師からだけじゃなく、詳しい人から学んでもいいし、講義じゃなく、プロジェクトを実行したり、もしくは会社を作ったりして本気で学びたい。大人も子供も関係なく、学びたいものを一緒に学びたい。でも、それはできない。ダメだ。教育を提供する学校の運営効率が悪くなるからだ。

のっけから、面白い。

過去の教育学者や哲学者などのによって発展を遂げた「学校」が、当時は良かったが、現代ではよくない影響があるようになった。教育者たちの考えは良かったが、学校がビジネスとして利用され実現されたものが本意ではないものになった。画期的な教育の革命が、時間が経つにつれて思いもよらない反作用を引き起こした。そういう歴史的背景を丁寧に丁寧に説明することによって、「少しだけモヤモヤして受け入れていた常識」がどんどんと解きほぐされていき、過去の偉人たちにリスペクトしながらも、積み上がった歴史が現代にとってはよくないものになっていることを知る。

私たちはあらためて人生の過ごし方、特に学び方について考えなおし、つくりなおしていくべきだと思います。僕自身もこれからの子どもたちと一緒に「わかったあ!やったあー!」「うわ!まじ?!すごいね!」「ギャハハ!なかなかうまくいかないねー!」「でも、だからこそ人生はおもしろいんじゃないか!ねえ!」などと大笑いしながら学び続けていきたいと思います。

 

冒険の書』より

学ぶことは子どもの義務ではなくなり、誰もが興味の赴くままのめり込むことができるものになる未来。そういう未来がいい。

カテゴリ境界を溶かす

読み進めていくと、同様の手法で、「子ども」と「大人」の境界線や、「遊び」と「学び」と「働き」の境界線も溶かしていく。

いろんなことがグラデーションで繋がっているのにも関わらず、たとえば「ライフステージ」というもので人生が数段階に明確に分けられていたり、たとえば学びの中に「休み時間」を導入して、遊びと学びが明確に分けられてしまった。そういう背景を理解していくに従って、どんどん境界線が溶けていき、元の何もなかったグラデーションで繋がった、ただただ濃淡のあるだけの世界のイメージに戻っていく。

遊びと学びはもともとシームレスにつながっているのに、近代以降、「遊び」と「学び」は全く別のものとして区別されてしまいました。そして、それが「学び」を貧しいものにしてしまったという気がしてなりません。逆に言えば、「遊び」が持つ素晴らしい可能性が絞んてしまったとも言えます。

 

冒険の書』より

僕の書籍のタイトルは『会社は仲良しクラブでいい』だ。これは出版社さんからレコメンドいただいて決めたタイトルだ。このタイトルに拒否反応のある人もいるような気もする。しかし、僕は「リスキーなタイトルだな」と思いながらも、ある程度納得してこのタイトルを受け入れた。会社の「人間関係」や「働き」と「遊び」も少し境界を溶かした方がいい。

ここで、拙書『会社は仲良しクラブでいい』とのリンク部分も紹介したい。

「会社は仲良しクラブじゃないんだぞ!」

 日本の会社マネジメントは、この言葉に代表されるような、真面目で、遊びがなく、形式ばったもののように理解されています。もちろん、仕事は遊びではありません。だからといって「遊びの要素」を排除すると、何の面白味もない作業になってしまいます。僕は、作業からいい仕事が生まれるとは、思えないのです。

 

『会社は仲良しクラブでいい』より

キツく辛い「働き」とフロー状態を生みだす「遊び」を分けて労働者に定着させる。大量生産を行うような時代であれば良かったかもしれないが、イノベーションを求められている今の仕事環境にはあまり向いていない戦略かもしれない。この関係性は「学び」と「遊び」の間にもあると思う。

楽しく没頭し、新たな価値を生みだす。この辺りのイメージが孫泰蔵さんの『冒険の書』と拙書とがリンクしていて、僕は嬉しく思った。

このように『冒険の書』は丁寧な解きほぐしと、境界を溶かしていく段階を踏まえて、「メリトクラシー能力主義)」にもメスを入れ、最後に「何が大事なのか」に気づかされていくという構成になっている。

ぜひ、読んでいただきたい。

書籍を書くということ

読後、福岡市内で行われた著者である孫泰蔵さんも登壇する『「冒険の書」読書会』に参加した。その中で、「命を削る感じで書いた」という旨のお話をしていた。僕も書籍を書いたとき、とても大変だった。「もう嫌だ」と思いながら書いたくらいだ。自分の書籍が書き上がったとき、孫泰蔵さんに一番最初に読んでいただいた。そして、しっかりとしたレビューとともに、以下のようなコメントをいただいた。

ご本人にはコミュニケーション下手、言語化下手だという意識がおありなのかもしれませんが、ここには等身大の一人の経営者が、自分の体験にもとづき自分の頭で考えてきたことが素晴らしく言葉として結実しています。こんな素敵なテキストを書けるのだから、ぜひこれからも書き続けるべきです。

まさか、このとき、泰蔵さんも書籍を書いていたなんて。しかも『冒険の書』なんていう厚く熱い書籍を。そんな忙しい中でレビューいただいて、大変ありがたい限りだ。

冒険の書』は、孫泰蔵さんがたくさんの書籍を読み、それらを自分の言葉とともにアウトプットした書籍だ。その際に読まれた書籍もまた、命を削るように書かれた書籍たちだと思う。そのように歴史を超えて書籍によって知が連鎖していくことに、奥深さを感じた。

書籍を書くということはそういうことかもしれない。